夏祭りとおどろおどろしい物

2022年7月20日

私達家族は、私が小さい頃、夏休みによく父母の実家のある鹿児島に行った。

当時まだあった寝台列車に乗ったり、経済的な事を考えてか、車に全員で乗って行ったりした。

そんな時、鹿児島の親戚の皆様は快く迎えてくれた。まだ存命だった祖父母たちに会うのも楽しみだった。

そして、夏休みに、母の実家で従妹たちとふとんを川の字にずらりと並べて寝たりしたことを覚えている。なんだかわいわい言いながら、楽しい夏休みを過ごさせていただいて、感謝している。

従妹は、3人いて、私達も3人兄弟だったので、大勢になった。焼いてマーガリンを塗った食パンが何枚も積まれていたのを覚えている。一番大きい従妹のおにいちゃんの後について、みんなで近くの山に探検に行ったりした。

そんな鹿児島で、毎年、夏祭りがあり、夜店が開かれた。少しのお小遣いを手にお祭りに行った。そこにあったのは、今のお祭りとは少し違って、とても怖いお化け屋敷などがあったように思う。

また、夜店の中に「牛女」という見世物小屋があった。行こうかどうしようか迷ったが、母に聞いてみたら、入りたいのなら入ってきたら?と言う。怖い物見たさに入ってみた。大勢の人が小屋の中にいた。牛女の大きな絵があり、マイクで男の人が世にも恐ろしい牛女の説明を大音量で話している。長い時間が経った。そして、鳴り物入りで牛女が登場した。牛女は、上半身人間で、下半身が牛だという。下半身を布で覆って、牛女がぞろりぞろりとみんなの前に現れ、ゆっくりと移動したかと思うと、また、戻っていった。「え!?」と私は、心の中で叫んだ。それは例えて言うなら、お寺で秘宝の「かっぱのミイラ」を見せられた感じに似ている。嘘のような本当のような、布で隠されているので、本当の事はわからないが、信じている方がいいのではないかと勝手に思ってその場を後にした。見世物小屋の中はおどろおどろしい曲が流れ、どんなに恐ろしいかをマイクで男の人が叫んでいた。そして、牛女として生きている事の辛い人生について語っていた。

あれは、なんだったんだろう。あんなつまらない物とは、出てきた人たちは言わなかった。私も、あんな風に生まれてきた牛女の事をかわいそうに思ったりした。今考えれば、インチキだったかもしれないけれど、子供だった私にとっては、あまりにも怖く、おどろおどろしい物だった。昔は、なんだかそんなおどろおどろしい物があったように思う。出口を出てきた私を少し微笑みながら母は迎えに来てくれた。母としては、私が入りたがっていたし、見たらわかるだろうと思って見世物小屋に入ることを許したのだろう。私は、牛女の人がかわいそうだったとだいぶ長い間母に言っていた。あれは嘘なのよとは、母は言わなかった。そんな見世物小屋にもなんだか寛容な社会だったのだろうと思う。

おどろおどろしい物と言えば、もうひとつ思い出すことがある。おそらく小学校1,2年生頃の夏休みの事だったと思うが、車で鹿児島に向かっていた道中で、(熊本県のどこかだったと思うが)山の中に「山賊」というお店があった。ずっとくねくねと曲がった暗い山道を走っていると、突然、明るくなってそのお店は現れた。店先にたいまつが煌々と焚かれ、そばにラムネのたくさん入った樽が置かれていた。夜中の1時か2時の事だったので、人の気配もなかった。ラムネの値段が書かれていて、お金を置いていくといいシステムのようだった。両親は、お金をお店の籠の中に入れて、ラムネを買ってくれた。喉が渇いていたので、冷たく冷えたラムネが本当においしかった。しかし、”山賊”という名前のせいで、ラムネを飲んでいる私達を誰かが遠くで見ていて、襲ってくるのではないかと怖かった。早くその場を離れてくれるように父に頼んだような気がする。帰ってからあれはどこだったのか母に尋ねても、どこにあるのか覚えてないのよと言われてしまった。余計に私には、得体のしれないおどろおどろしい山賊の一族の家だったのではないかと思われた。

ずっと大人になってから、テレビでその「山賊」について語られていた。レストランとして山の中で経営されていたそうで、実在していたレストランだった。本当にあったのだと知って、少しほっとした。

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Posted by mint0219