”せう”と鹿児島弁
私は、子供の頃、よく祖父母に手紙を書いていた。それは、自分が出した手紙に祖父母が必ず返事を書いてくれるから、うれしくなって書いていた。祖父母は、みんな達筆でそんな文字を書きたいと思って、親に習字を習いたいとおねだりしたりした。
母方の祖母は、明治の人だったので、文章の最後が「せう」で締めくくられていた。何と読むのか母に聞くと、「しょう」と読むのだという。「学校に元気に通っているのでせう」という具合だ。現代の言葉には無い言葉を使う祖母の事をなんとも奥ゆかしく思ったものだ。
そんな古き良き言葉がだんだん無くなってしまうのは、なんだかさびしいなと思ってしまう。
父のいとこの奥様に「喜美さん」という方がいらした。この方も戦後の時代を生き抜いた方で、その大変だったことをいつもユーモアを交えて明るく話された。しんの通った、私の憧れの素敵な方だった。いつも喜美さんがいると、その場が明るく和やかになった。その喜美さんが話されていたのが、古き昔ながらの鹿児島弁だった。鹿児島では、少し古い時代の方々の話す言葉は、今の人が話す鹿児島弁とは少し違っていて、鹿児島に住んでいる人にも何を言っているのかわからない時があるらしい。その言葉は、「じゃった(そうだった)」「座らんね(座ったら)」といった具合のもので、独特のアクセントで話される。それは、なんだか音楽のように自然で、どこかなつかしい響きがある。鹿児島弁は江戸時代に薩摩藩が自分たちの言っていることを知られないように独特の言い回しになったという説を唱える学者もいるそうだが、私にはとてもなつかしい。そして、喜美さんが話していた古き良き鹿児島弁を話す人が少なくなっているのも、なんだかさびしい。
物として残らない無形の事は、人々の記憶の中にしか残らない。そして、そんな事こそ貴重なのではないかと思う。
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