父とマテ貝
小さいころ、たぶん私が小学生のころまでだと思うが、私の家族5人(父、母、私、妹、弟)は、父が休みの週末、よく近くの海に潮干狩りに行った。
そして、父は必ず大きなシャベルを車に積んで持っていき、マテ貝取りを始めるのだった。
母は、市販の”塩”と大きく印刷されたビニール袋を手に、父の後を追っていった。干潮になって現れた砂浜で、それらしき小さな穴を見つけると、シャベルで掘りながら父は母に「おいっ。」と、塩をかけるように言った。そして、みんなでその穴をじっと見つめた。塩をかけると、マテ貝がびっくりして出てくるのだそうだ。父はマテ貝が飛び出てくるのをじっと待って、出てきたら捕まえようと構えている。しかし、その穴からマテ貝が出てくるのは、本当に稀なことで、出てきたとしても、父がマテ貝を捕まえることは、本当に稀な事だった。たいてい穴から蟹が出てきたり、海水があふれてくるだけだったりして、空振りに終わる。マテ貝が出てきても、つかみそこなったりして失敗に終わった。それでも、父はあきらめなかった。穴を見つけては塩をかけるように母に言っていた。子供ごころに、そんな風に取れるかどうかわからないマテ貝を取るより、あさりをたくさん取った方がいいのにと思っていたが、そんなことは父に言えない。それほど、父はマテ貝を取ることに夢中になっていた。そして、私たち家族がいた後には、父が掘ったシャベルの跡がてんてんと残っていった。
なぜマテ貝というのだろう。「待て!」というくらい逃げるのが早いからマテ貝というのだろうか。
今は亡き父が、どうしてあんなにマテ貝を取ろうとしていたのか、小さい頃はわからず、つまらない気持ちになったものだ。しかし、今思い返してみると、あの頃がなつかしい。家族で一生懸命穴をのぞいていた頃が。マテ貝取りは家族の行事のようになっていた。そして、あの遠浅の海岸で日焼けしながら、一日中ずっと潮干狩りをした。(子供たちは適当にあさりを取ったりしていた)。帰りには、またマテ貝取れなかったねといいながら車で帰った。帰ってみんなで食べたすいかがおいしかった。
確かに記憶をたどれば、数少ない取れたマテ貝は、こりこりとしておいしかった。幼い私達がおいしいと言っていたから、父は家族のために一生懸命マテ貝を取ろうとしたのだと、ずっと後になって母から聞いた。
おとなになってから、かごに山盛りに積んであるマテ貝を魚屋さんの前で見たときには、驚いてしまった。どうやって取ったのだろう。機械か何かで取ったのだろう。でも、なぜか食べたいとは思わなかった。私の記憶の中でマテ貝はずっと取れない貴重な貝だったから。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません